スティーブン・R・コーヴィ著「7つの習慣」を読んでみました。
この本は啓発本の中でもレジェンド級です。
この本を自分の生き方のバイブルとしている人も多いのではないでしょうか。
僕の知っている人格者達もこの本から影響を受けている方が多くて、そんな人から勧められて僕も本を開いてみたわけです。
今回は、第1から第7まである「習慣」の内、第1の習慣「主体的である」について切り取って記事にしたいと思います。
「主体性」の本当の意味とは?
7つの習慣〜主体性とは
主体性とは、
自発的に率先して行動すること
ではないです。
そんな簡単な考え方ではありません。
とコーヴィ先生。
よく使われている「主体性」という言葉は、大方そういった抽象的な意味合いで使われていることが多いようですが、本当の意味での主体性というのは
自分の人生の責任を引き受ける
という意味だそうです。
行動というのは、周りの状況や環境が理由ではなく自分の決定と選択の結果であり、その様な捉え方をすることを主体性と言っています。
例えば
遠縁の親戚が亡くなったため葬儀に行きたい
しかし、その日大事な商談も抱えている
こんな状況で葬儀へ出席する場合、上司に対しどんな言い方で休暇の承認をもらいますか?
普通に
「葬式に行かなければならないので休みます」
という感じでしょうか。
最初、なんら違和感を感じなかったのは僕だけでしょうか?
しかし、コーヴィ先生から言わせれば、これは主体的ではない物言いとなります。
なぜなら
「行かなければならない」
という発言は、周りの環境が自分の行動理由となっている言い方だからです。
柔らかく説明すると、自分の行動について自分自身で責任をとることが主体性なのですから、主体的である人は、
「遠縁とはいえお世話になった方の葬儀なので休暇をとって出席したいです。商談の件は、〇〇さんに抜かりなく引継ぎ対応してもらます。」
という風に自分の発言や行動に責任を持つ物言いになるわけなのです。
僕も「〇〇しなきゃならないから…。」と言っちゃうことがとても多いです。
ビジネスのシーンだけではなく、家庭生活を切り取っても自分が主体的な態度ができていないんだなぁと痛感したわけです。
7つの習慣〜関心の輪と影響の輪
自分が主体的かどうかを自覚する為には、関心ごとがどこへ向いているのかを確認すると良い様です。
例えば、職場で上司の愚痴を言ったり、ワイドショーなどを観て政治家やタレントのゴシップに憤ったり、文句ばっかり言ってしまうことってありますよね。
僕も大いにあります。
そこで、
自分の関心ごと
と
自分の影響力が及ぶこと
を整理してみると見えてきました。
労力を注ぐべきは当然、自分の影響力が及ぶことです。
自分の影響力が及ばない関心事にいつまでも労力を使っていても、何も生み出せないからです。
関心ごとがある場合、まずはその事柄は自分が影響を与えられるものなのか、自分が影響を与える術はないのかと分けて考えてみると良いかもしれません。
7つの習慣〜コントロールできないこと
自分の関心ごとの中で、自分の影響力が及ばなく、どうしてもコントロールできないことだと悟ったなら、
穏やかな気持ちで受け入れる
しかないと言っています。
そうすれば、どうしようもないことにいつまでも振り回されることもなく、心は穏やかであって、本当に注ぐべきところへ労力を注ぐことができるからです。
僕も、普段、自分の影響が及ばない他者の行動に関心を向けすぎて自滅することが本当に多いなと実感しました。
他人に
なぜこうしない
なぜこう考えられない
俺なら…
俺は普段…。
って思ってばかりでイライラしてしまいます。
このような考え方を知ることで、心の安定感につながるなと切に思った次第です。
7つの習慣〜主体的である小括
この本は本当に良書だなと感じています。
まだ全て読み切ったわけではありませんが、序盤を読んで感銘を受けたことが多く、本の内容がまだ頭にはっきり残っている間に文書に残しておきたいなと思ったため記事にすることにしました。
今後、読み続けていく中で、追加記事を書ければなと思っています。
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