差別とデモの話

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 最近、世界中で大反響を巻き起こしている例の問題です。

 あまりにもデリケートな問題なので、記事にするかどうかで少々迷いましたが、なにやら「引っかかり」を感じたことは事実なので、「今の時点の僕」が思うことを発信したいと思います。

脱天さん
脱天さん

35歳サラリーマンが思う引っかかりとはなんざんしょ。

 とにかく、僕は例の関連ニュースを目にするのがとても嫌いです。

「黒人の命は大事」

 ここ最近毎日見かける
  「黒人の命は大事」デモ
 このニュースを目にした時、皆さんはどう感じて何を思いますか。

  当たり前じゃないか?

  この問題のソーシャルスタンダードが何なのかは分かりませんが、「黒人の命」というフレーズに若干の違和感を感じてしまいました。

 日本は諸外国と比べると、アジア系の人種以外の人が住んでいる割合が少ない為、僕自身「差別」というものに無頓着だから、そう感じるのかもしれません。

 しかし、「黒人の!」「黒人の!」と叫べば叫ぶだけ区別的なニュアンスが感じられてしまうのです。

 叫べば叫ぶだけ「分けてしまう」ことにならないのでしょうか?

 このデモで黒人の人達は本当に救われているのでしょか。

声を上げることで得られるものは?

 確かに、レイシストという人は存在するのだと思います。

 宗教的な要因だとか、親や周りによる影響なのでしょうか。

 その様な人達に向けて、今回のデモの様に声を上げて発信することで、抑圧できることもあるのだとは思います。

 僕は日本に住む日本人ですから、これまで生活してきて、自分が人種的なマイノリティである環境で過ごす機会はほとんどありませんでした。

 海外では、アジア系の人種に対して未だに差別があると言います。

 直接的に目の当たりにすれば、どういった感情になるのか。
 もしかすると、立ち上がろう、声をあげようと思うのかもしれません。

 しかし、今の僕の環境で、この問題を客観視している身としては、流れるニュースを目にした時に、どうしても少々の不快感を感じてしまいます。

不快感はどこから?

 差別というものは、ある人種に対する「攻撃」でしょう。
 「攻撃」というものにも狭義のものも広義のものもあると思います。

 そして、デモというものもまた「攻撃」なのだと思います。
 体制だったり、ある特定の人に向けた「攻撃」で現状を変えようとするのが「デモ」ではないのでしょうか。

 それでは、この問題は「攻撃」でしか「解決」できない問題なのでしょうか?

 「攻撃」といえば容易に「戦争」という言葉が思い浮かびます。

 戦争というものは、お互いの国がそれぞれ自分たちの「正義」をぶつけ合って争うことだと思います。

 というか、争いというものは全てにおいて、自分たちの正義の押し売りなのだと思います。

 「攻撃」以外の解決方法を見つけたいな。
 デモをしている人達全員で考えたら、きっと1人くらいは「攻撃」以外の解決方法を思いつく人がいるのではないのかな。

 平和的であれば声を上げることは崇高なことだと思います。
 しかし、デモにかこつけて野蛮な行いが許されることは絶対にあってはならないと思います。

 争いというものは、お互いが傷つけ合い、必然的にお互いが不幸になるものだと思います。

 「黒人の命は大切!」
と叫んでいる人が、黒人ではないことに優越感を感じて叫んでいないか?と思ってしまう僕は性格が悪いかもしれません。

 まだまだ見識の浅い僕ですが、僕だったら「日本人の命は大事!」とかって海外で叫ばれていたら、あまり良い気がしないなと思ったわけです。

 センシティブな内容なので、異論はあると思いますが、皆が平和的に過ごせることが何より大事かなと思ったわけです。

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