部下や後輩の育成って悩みますよね。
情熱が自分の中にあればあるほど悩みますよね。
「なんでそうなの?」「どうして分かってくれないの?」
憤りを感じて止まないですよね。
僕も現在進行形で悩みに悩んでいます。
丁寧に優しく説明してもだめ。
キツく言ってもだめ。
優しく甘やかしてもだめ。
キツく干してもだめ。
じゃあ一体どうすればいいのだろう。
僕が、悩みに悩んでいる中で、部下の育成について考えに考えていることをお伝えしたいと思います。
正解かどうかはわかりません。
自分がいつも同じようなことで悩み、憤り、腹を立てているなと思い、じゃあどうするかを自分なりに考えてみました。
部下や後輩を育てるって、どういうことでしょう。
育てるって何?育つって何?
そもそも育つってなんだ?
仕事において昇進したり、年数が経過すると、部下や後輩が下に付きますよね。
そうなると、これからの会社の未来や生産性を高めるため、社会貢献のため、会社や社会から部下の「育成」という役割が与えられます。
これは、暗黙の了解といいますか、具体的にその部下や後輩をどのように育てる必要があるのかは誰も教えてくれません。
当然、その部下や後輩のポテンシャルやスキルは人それぞれですから、一概に言えないもので、マニュアルなんてありませんし、明確な正解なんてあり得ないものなのでしょうね。
だから困ります。
自分にとって「育つ」「成長する」という概念は、自分の物差しにしかない訳です。
ですから、自分の物差しで期待し、指導し、結果を求めるしかないわけで、それに「そぐわない」場合、裏切られたと感じたり、憤りや怒りを感じてしまいます。
仕事に直向きだったり、誇りを持っていればそれだけ、「部下を育てることができれば、会社の利益になるし、上司先輩は、会社や社会のために、下を育てるのは当然であり、使命である」と考えます。
真面目なほど部下が「出来ない子」だと悩みます。腹が立ちます。
でも、部下が「出来ない」って何が「出来ない」んでしょうか。
「自分と同じように出来ない」というだけなのではないでしょうか?
自分と同じにしなければならないと思っていないか?
部下がついて来ないと腹が立ちますよね。
こんなに懇切丁寧に教えているのに。
この間、丁寧に丁寧に優しく教えてあげたのに。同じことで間違えますかね。
キツく言ってもその場しのぎの「すみません」
その「わかりました」は、何の「わかりました」なんだ。
叱れば萎縮し、褒めると調子にのる。一体どうすりゃいいんだ。
「相手の事を思ってアレコレ考えて試しては裏切られた、あの手この手を使っても打っても響かない、もうこの子は一生治らない、重大なミスだけしないように最低限の軽い仕事だけ与えて、経過を確認し、結果を求めて、検証する。それだけでいいか。いや、しかし、会社や社会のためには、こんな奴でも育てなければならない。でもしかし、何をしても育たない。どうすればいいのか…。」
イライラがつのり、そのイライラが相手に伝わり、相手は警戒し、お互いの信頼関係が築けなくなります。
そうなると、目先の生産性も伸びずに、相手も仕事を覚えることに頭を使うのではなく、「この怒っている人に何とか機嫌を良くしてもらいたい」ということしか考えられなくなってしまいます。
世の中には色んな人がいます。
当たり前のこと言って申し訳ありません。
しかし、「育成する」「教育する」ってどういうことでしょうか。
自分の「あたりまえ」を押し付けるのは「育成」でも「教育」でもないかもしれません。
自分がいくら頑張っていても、自分の様になることが「育成」の先にあるものじゃなかもしれない。そう考えられればよいのかな。
と、そう思った訳です。
「育てる」ではなく「伸ばす」が正解か?
例えば、
目下の指示された具体的な仕事しかやらない
目的に向かってチームが何をすべきなのかを考えられない
そもそも頭を使わない
周りが自分に何を求めているのかを感じられない
業務目的に対する責任感がない
何が重要なのかを考えないため、報告、連絡もできない
こんな部下や後輩はいると思います。
憤りますし、腹が立ちます。
「なぜ、お前はここにいるのか」
と問い詰めたくなりますし、親の顔をマジで見てみたいと思います。
しかし、です。
自分の当然は、相手の当然ではないのです。
俗に言う「当然」も彼らには通用しません。
そもそも、自分の当然は自分の物です。
彼らには彼らの「当然」があり、また、彼らは自分が「ダメな奴」とは思っていないのです。
「自分のところまで上がってこい」
「そのために自分がやってきた事、自分の当然を教えてやる」
ではダメなんじゃないか?と思った訳です。
例えば、自分が
「こんな雑務なんて」
「こんなゴミみたいな仕事」
って思っていることが、彼らにとっては
「崇高な仕事」で「是非やらせてもらいたい仕事」
かもしれません。
まずは、相手の性格やスキル、ポテンシャルを把握し、彼らの良しとする業務を与えてやるのが良いのかもしれないと思った訳です。
要するに、自分が雑作もないと毛嫌いしている業務が彼らにとっての得意分野かもしれないという訳です。
自分と「大切に思う仕事」が共鳴している部下と仕事をする場合は、聞かれたことを教えてあげたり、欲している仕事を与えてあげたりすると自分も相手もWIN-WINで生産性が当然に高まります。
反対に、自分と「大切」が合わない部下には、自分が重要じゃないと思うような雑務を延々やらせるのもアリなのではないかと思うのです。
相手にとって「それ」は喉から手がでる程やりたいしごとかもしれないのです。
そういう人は
頭を使わない単純作業が好き
雑用こそ俺の生きる道
と思っているかもしれません。
そうすれば、そんな部下とも会社からすればWIN-WINの関係でいられ、生産性も維持できるかもしれないと思いました。
皆が自分と同じように
雑用しか与えられないってことは信用されていない?
と思うわけではないのかもしれません。
自分と同じにすることが育成ではないのでは?
何も、自分と同じにならなきゃならないって事もないのではないか?と思った訳です。
どんな雑務や単純作業でも、延々やっていられるのはある意味強みですし、自分が優秀だと思っている人ほど出来ないことです。
そもそも優秀って何?って思ってみても、それは自分の主観でしかないでしょうし、
「自分だったら嫌だな」
は、相手にとっても同じとは言い切れないと思います。
要は、WIN-WINの関係であり、生産性を高めるには、やはり
相手の事を知る
という事なんでしょうね。
敵を知り己を知れば百戦危うからず
さすが孫子。
人は「自ら育つ」以外に成長することはないですから、上の者は本人を「サポートする」くらいでいいんでしょうね。
「育てる」を「自分と同じにする」と思うのはおこがましく、相手の求めに反しているかもしれないということを念頭に、これから部下や後輩と接してみようと思った次第でございます。
まあ、これが正解なのかもわかりませんけどね。
そして実践するのって非常に難しいですしね。
僕も最近、イライラして、憤って、反省して、チャレンジして、裏切られて、を繰り返してしまってます。
まだまだ青二才の僕です。
でも、色々悩み悩んで、考え抜いて成長し続けるしかないですからね。
要は前向きに頑張っていこうということでした。笑 失礼。
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